緋色の残影

 
  ―  6  ―


 時は前後し――夏蓮と秋嵐と分かれて広場を後にし、庭園から部屋へと戻った悠里と有弧楼は、部屋の中を通り抜けてまっすぐ寝室の方へと向かっていた。
「!」
 寝室の扉に手をかけた途端、有弧楼は険しい顔をして振り返る。
「どうしたんですか?」
「侵入者がいるようです」
「え?」
 その時、背後でばさり、と何かが羽ばたいたような音がしたので何の音だろうと悠里は振り返り――急に明度を下げて薄暗くなっていた室内に静かに舞い降りる黒い影を見た。
「!」
 薄明かりの中で光る、黄金の瞳と視線が合う。それと同時に、突然背後に生じた気配に反応した有弧楼が悠里をかばう様に前へ出、全身に緊張を漲らせた。
 二人の視線の先には、黒い翼を背にした、闇の御使いと呼んでも差し支えないくらいすべてが漆黒の青年が佇んでいた。黄金の瞳と青白い顔だけが、薄暗い部屋に浮び上がるように映えている。
「お前はあの時の!」
 有弧楼が叫ぶと、青年はチラっと有弧楼を見るなりハエでも追い払うかのように片手を掲げた。
「邪魔……」
 青年がぼそりとつぶやくと、悠里の目の前にいた有弧楼が急に意識を失い、その場に崩れ落ちた。
「アルコルさん?」
 悠里はいきなり気絶してしまった有弧楼の様子を心配し――目の前の青年のことを忘れ、慌ててしゃがみ込んだ。床に崩れ落ちた有弧楼の意識のない身体を抱え起こす。
「アルコルさんどうしたの? 大丈夫?」
 ゆすり起こそうとしても、有弧楼はびくともしない。
「灯台下暗しというけれど、こんな所に居るなんて思わなかった」
 至近距離で声がして――先ほど現れた青年の靴先が三歩ほど先にあるのが見え――有弧楼を抱えたまま悠里は声の主を見上げた。
 黄金の瞳を爛々と輝かせた青年は、陶然とした表情で悠里を見下ろしていた。
「あなた、アルコルさんに何をしたの?」
 有弧楼が急に昏倒したのは青年の仕業だろうと咄嗟に感じて問うと、「眠らせただけ」と青年は言葉少なに答えた。
「どうして?」
「邪魔だから」
 問えば返すような会話。悠里が問いかけ、青年が答えるたびに、その距離は縮まっていく。
「何で?」
「貴女を攫うため」
「え?」
 青年が言った言葉の意味が呑み込めずに戸惑う悠里の前に、青年はゆっくり屈み――二人の目線が同じ高さになった。
 その瞳には何故か、悠里に対して害意を感じなかったが、底知れぬ何かを感じて有弧楼を抱えたまま悠里は身を引こうとして、右腕を掴まれた。
「!」
「やっとつかまえた」
 つぶやきと共に、掴まれた腕にぐっと力が入るのを感じた悠里は、気付くと青年の方へ引き寄せられていた。抱えていた有弧楼が悠里の膝から床へと転がり落ちていくのに気付き、声を上げる。
「離して」
「やだ」
 同じ会話をどこかでしたようなデジャヴを感じながらも、悠里はその手を振り解こうとする。しかし、悠里が暴れれば暴れるほど、腕を掴む手に力が入っていき、気が付けばその青年の腕の中にいた。腕を突っ張って離れようとしても全くびくともせず、拘束は強くなるだけだった。
「く、くるしっ!」
 悠里の顔が青年の胸に押し付けられている状態になっていたので、息苦しくなって思わず悠里が声を上げると悠里を拘束していた腕の力が弱まった。
「ごめん」
 思わず謝った青年の声を聞きながら、悠里はその腕を振り切って離れることに成功した。
「なんでこんなことするの……?」
「それは――」
 肩で息をしながら悠里が問うと青年は答えようとするのだが、その時それと同時に部屋のドアがドオン! と激しく蹴破られる音が響いた。
 悠里はその音に驚き、ドアの方を見た。そこにはさっき別れた夏蓮と秋嵐ともう一人、金髪にマラカイトグリーンの瞳の、床まで届きそうな白い外套をまとった見知らぬ青年の姿があった。
「アスモデ、やはりお前だったか」
 悠里の傍らにいる青年を見据えて、その青年はつぶやく。
「スラオシャ……」
 アスモデと呼ばれた青年は自分の名を呼んだ青年を一瞬茫然として見たが、すぐに夢から覚めたような顔をした。
「邪魔はさせない」
 スラオシャとアスモデが視線を合わせている数秒の間に、素早く駆け込んだ夏蓮と秋嵐が悠里を保護するのを見て――アスモデは虚空から剣を取り出した。
「どこを見ている。お前の相手は私だ」
 いつの間にか、アスモデと同様に剣を手にしていたスラオシャが、彼に切りかかっていた。アスモデは自分の剣でそれを受け流す。
「どこまでも邪魔する気か」
「今までやってきたこともそうだが、お前のやろうとしていることは許されることではない」
 スラオシャは静かに語りながら次々と剣を繰り出す。アスモデはそれらを受けたり流したりと、防戦一方だった。
「夏蓮、ユウリさんを連れて外へ!」
「わかってる!」
 夏蓮たちに保護された悠里は、気を失った有弧楼を抱えた秋嵐とともに庭園に続く扉から外に出た。
 背後からはキンキンと金属のぶつかる音がし、双方が繰り出す剣戟の音が続いていた――。

 

「悠里様、大丈夫ですか?」
 先ほど夏蓮と秋嵐が武術の訓練をしていた広場まで来ると立ち止まり、夏蓮は悠里に聞いた。悠里は大丈夫だと言うようにうなずく。
「眠らされただけか。それだけで済んでよかったな……」
 有弧楼を抱えたままの秋嵐はぽつりとつぶやき、抱えていた有弧楼を白い石畳の床にそっと下ろした。その後、有弧楼の身体を横たえるのではなく上半身を支えたままの状態で背後に回り、背中に右の掌を当てた。
 その一連の動作を見守っていた悠里は、背中に当てられた掌が淡く青白い光を発するのが見えた。
 数瞬後、意識を取り戻した有弧楼ははっとしたように秋嵐を見、それを見守っていた悠里の姿を目にするとほっとしたようにつぶやいた。
「ご無事でよかった」
「アルコルさんが倒れてしまったときは本当に心配しました」
 悠里に声をかけられ、しゅんとした有弧楼。頭の耳も連動してしゅんとなっていた。
「ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありません……」
「本当に、何もなくてよかったよ」
 言いながら、秋嵐は有弧楼に手を貸しつつ立ち上がる。
「秋嵐様、お手数をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。しかし――アスモデ相手によく逃げられましたね」
 秋嵐に助けられながら立ち上がった有弧楼が言うと、秋嵐は答えた。
「スラオシャ様が来てくれたから何とかなったようなものだけどね」
「スラオシャ様が?」
「偶々なのかわからないけれど、この付近を飛んでいらしたところを降りてこられて、『禍々しい気を感じたので来た』と。それでそのまま母上の部屋に」
「そうでしたか」
 そう言うと有弧楼は、階段の上の庭園の向こうにある部屋の様子を伺うように見た。それにつられるように、他の者も同じ方向を見る。
 その時、ドオン! と何かが爆発したような音が響き、かろうじてこの場から見えていた部屋の屋根の一部が吹き飛ぶところが見えた。
「!」
 屋根の瓦や壁の一部などの破片が空に舞い上がり、粉々の瓦礫の雨が降る中、黒い影が空へ飛び出していくのが見えた。それを追うように白い影が飛び出してきたが、黒い影は白い影が追いつく直前に消えた。
「あいつ逃げやがった」
 ぼそっとつぶやく夏蓮に、同意するように秋嵐がうなずいた。
「そうだね。邪魔するなとか言ってたけど、本気で闘う気はないみたいだったし」
「本気だったら、あれぐらいじゃ済まないだろう」
 そう言った夏蓮の言葉に秋嵐は、戦闘で破壊されているだろう二人の母の私室を想像したのか苦笑した。
「逆に、あれだけで済んでよかったのかもしれない……」
 二人が会話している間に、黒い影を追って飛び出した白い影・スラオシャは、その背に生えた孔雀色の翼を羽ばたかせて四人が居る広場まで飛んできた。ふわりと舞い降りて音もなく着地する。
「すまない。逃してしまった」
 本当にすまなそうな顔をしてスラオシャが言うと、秋嵐が首を横に振って答えた。
「いいえ。スラオシャ様が来て下さっただけでも幸運だったと思っています。本音を言うと、助太刀したかったのですが、私では足手纏いですから」
「気持だけいただこう。しかし、夜魅殿の部屋を台無しにしてしまった」
「被害が母上の部屋だけで済んでよかったです。母上もその辺はわかってくださるでしょう」
 夏蓮の言葉を聞いた後、スラオシャはすっと空を見上げた。
「?」
 夏蓮はつられるように空を見――そこにあるものを見て瞠目した。会話を見守っていた悠里たちも同じように空を見上げると、そこにはそこには白牛・孔闍陀の背に乗って飛来してくる多羅の姿があった。

 

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