緋色の残影

 
  ―  5  ―


 部屋から庭へ直接移動できる扉を開くと、白い石で一面を敷き詰められた中庭が現れる。

 庭に足を踏み入れると、歩くたびに砂利と砂利が軽くこすれ合う感触と音が響いた。
 庭園には所々に樹木や花壇が配置されており、休憩用の東屋などがあったが、開けたところへ出たところでキンキンと金属同士がぶつかるような音が悠里の耳に入った。
「?」
 聞きなれない音だったので、何の音だろうかと悠里が首をかしげていると、有弧楼が一点を指差して言った。
「夏蓮様と秋嵐様が武術の稽古をしておられるようです」
 庭の一角にある下り階段の先に石畳の広場があり、夏蓮と秋嵐らしき人影が武術の訓練をしている姿が見えた。
「武術、って夏蓮さんもやっているんですか?」
 意外そうな声を上げた悠里に、有弧楼はうなずく。
「夏蓮様は次期、南斗星君となられる方ですので、武術も多少はたしなまれておいでです」
 そう言って有弧楼は、修練している二人の下へ向かいながら、南斗星君の役割をかいつまんで話してくれた。
 その話によると、太極には『南斗隊』という組織があり、彼らは何らかの事故で仮死状態になってしまい、こちらの世界へ魂だけ来てしまった人間を元の場所へ送り届ける、というのが主な仕事なのだが、場合によっては、天魔と呼ばれる邪悪な者が、その魂を食らおうと邪魔しに来る場合もあるので、武術の習得は欠かせないらしい。
 そして、その『南斗隊』を統括するのが南斗星君なのだという。
「南斗星君て、大変なお仕事なんですね」
「そうですね。ですから、お二人の母君の夜魅様が不在のときは、よく紗灯様が夏蓮様と秋嵐様のお相手をされていました」
 そう言われても、悠里の記憶にはないので何とも言えなかったが、そうこうしているうちに、二人が鍛錬している場所の近くまでやってきた。
 剣戟の音が響く広場では、夏蓮は練習用のシンプルな長刀を手にし、秋嵐は練習用の刀を手にして相対していた。二人の攻防を見ていると、夏蓮の方が劣勢のようだった。
「こっちの方がリーチでは有利なのに――」
 少し息を弾ませながら、夏蓮は長刀を下段に構えた。
「何で勝てないんだ〜!」
 何かをわめきながら、斜め上へ振り上げる夏蓮。秋嵐は後方へ飛びのき、それを余裕でよける。
「何でおまえはいつも余裕なんだ!」
 涼しい顔をした秋嵐に、睨むような目を向けて続けざまに長刀を振り下ろす。
「夏蓮はすぐ頭に血が上るからダメなんだ」
 今度はそれを刀で受け止め、つばぜり合いになった。
「それに――」
 秋嵐は言いながらふっと笑み、押していた力を弱めて右側にスライドするように移動した。力を前方に向けていた夏蓮は、当然前方にのめり込むように倒れそうになるが、右に避けた秋嵐が夏蓮の二の腕を掴んでそれを阻止した。
「夏蓮はいつも、ツメが甘いから」
 掴んだ腕に力を入れて、秋嵐は自分のほうに引き寄せる。
「ありがと――」
 助けてもらってお礼を言おうとした夏蓮。しかし、秋嵐は端整な顔を寄せて、夏蓮の頬に軽く口付けた。
 その時、いきなり近づいた秋嵐の顔にびっくりような顔をした夏蓮は、自分の身に起こったことを悟り、自分の頬を押さえながら悲鳴を上げた。
「何するんだ!」
 秋嵐の腕を振りほどいて、凄い勢いで5歩ほど後退した夏蓮は、悪戯が成功した子供のように笑ってたたずんでいる秋嵐を睨む。
「夏蓮だって年頃なんだから、そろそろ男に警戒しないとダメなんじゃない?」
 練習用の剣を鞘に戻しつつ秋嵐が言うと、「はあっ?」と夏蓮はわけがわからない顔をする。
「縁談の話とか来てるじゃない」
「何それ、聞いてない!」
「へぇ、まだ聞いてないんだ?」
 意外そうな顔をした秋嵐に、つかつかと夏蓮は歩み寄る。
「相手は誰なんだ?」
「伯父上から直接聞いたら?」
 二人の会話は、いつの間にか別の方向へ発展していた。
「伯父上から聞いたのか?」
「まあね。朝議の後に『こんな話があるんだが』って」
 それを聞いた夏蓮は、悔しそうな顔をして地団駄を踏む。
「何で秋嵐が知ってて、当事者の私は知らされていないんだ?」
「さあ。本決まりじゃないのかもね。向こうは乗り気でも、こっちはそうじゃないとか。父上はそういう話には煩いし」
 ひとしきり会話したところで、夏蓮は二人の成り行きを見守っていた悠里と有弧楼の存在に気付いた。
「何だ。いらっしゃっていたのなら、声をかけてくださってもよかったのに」
「邪魔したら、悪いかなと……」
 悠里が言うと、二人が階段を下りてきた頃から気付いていたらしい秋嵐が口を開く。
「夏蓮、今頃気付いたの?」
 ほんと、そういうところが迂闊だよね。
 ぼそりとつぶやくのを聞いて、夏蓮は秋嵐をキッと睨む。
「武術のことは良くわからないですけど、夏蓮さんは女性なのに強くて驚きました」
 二人の間の険悪な雰囲気を消すような悠里の言葉に、夏蓮の表情は明るくなる。
「最近、やっと師匠から10本の内から1本取れるようになりましたけど、まだまだです」
「へぇ〜。でも、お師匠さんから1本取ったってすごい」
 悠里の言葉に、秋嵐は同意するようにうなづく。
「あの人、異様に強いからね」
「先代の片腕だった人だから、しょうがないよ」
 二人の会話を聞き、有弧楼が微笑する。
「そういえば、師匠も有弧楼には叶わないって言っていたな」
「姉だから?」
「伊達に黒いわけじゃないって言ってたような……?」
 夏蓮と秋嵐は会話しながら、一気に空気が氷点下になるような視線を感じて顔を見合わせると、そろってやばいといった表情をした。二人の会話を見守っていた悠里は、急に慌てたような様子の二人を見て不思議そうな顔をしたが、その二人の視線の先にあった絶対零度の微笑を浮かべた有弧楼を見、見てはいけないものを見てしまったような気がした。
「詳しくお話、聞かせていただいてもよろしいですか?」
 その後、半ば強制的に師匠が話したという内容を白状させられた夏蓮は辟易したような顔をしていて可哀想だったが、更に追求しようとした有弧楼を見て、秋嵐が助け舟を出すように言った。
「その辺にしといたら? ユウリさんの身体が、夜風で冷えてしまうよ」
 秋嵐の言葉にはっとしたように我に返った有弧楼は、悠里に頭を下げた。
「悠里様、申し訳ありません。ついつい力が入ってしまったようです」
 有弧楼のセリフに、「ついついってほどじゃないぞあれは!」と、夏蓮の抗議が入ったが、それは有弧楼の一睨みで一蹴されてしまった。
「別に私に謝らなくても……」
「いいえ、庭園にお誘いしておきながら、こんな時間までお連れしてしまうなんてあまりよろしくありませんから」
 そう言って、有弧楼は空を見上げた。悠里もつられるように見上げる。
 有弧楼の視線の先には、真昼の月のように影の薄い白い月が地平線から空へ向かってゆっくり上昇しているのが見えた。そして心なしか、先ほど庭に出たときよりも空の色が濃い青色へと変化しているような気がした。
 パイ
「白がもうこんな場所に……」
「?」
 有弧楼のつぶやきに、パイって何? と言う顔をした悠里に、秋嵐が言った。
                                                                              ウォン
「白
は、そちらの世界で言う『月』のことです。ちなみに太陽は、こちらでは『黄』と呼んでます」
「ここにも月と太陽はあるんですね」
 日輪・月輪があったから、ないんだと思った……。
 思わずつぶやいた悠里に、秋嵐はクスリと笑った。
「そちらの太陽や月のような役目はありませんが、『白』と『黄』は私たちに時間の経過を知らせてくれます。望に近い形の白が地平から出て来る時は、夜の訪れを示していますから」
「満月が夕方に昇るのも一緒なんですね」
「そうですね。一日の感覚は違っても、黄と白だけはこちらとあちらも同じなのかもしれません」
 秋嵐の言葉を聞き、悠里は再び空に浮かぶ少し頼りない感じの白――満月になるには少し足りない十三夜の月を見上げた。
「悠里様、そろそろお部屋へ戻りましょう」
 有弧楼に促された悠里はうなずき、夏蓮と秋嵐に軽く会釈してから踵を返した。
「ユウリさん、また明日ね」
 背後から秋嵐の声がしたので
悠里が振り返ると、秋嵐は小さく手を振ったので悠里は手を振り返す。
「汗を流した後、またお邪魔します」
 隣に立っていた夏蓮が続けて声を上げたので、悠里は了解したようにうなずいた。
 有弧楼の後に付いて行く様に部屋へと帰って行く二人を見送りながら、秋嵐がぽつりと言った。
「夏蓮は女だからいいよね。夜、女性の部屋に行っても咎められたりしないから」
「当たり前だろう」
「僕も行きたい、って言ったら同行を許してくれる?」
「時と場合によるかな」
 夏蓮の答えを聞いた秋嵐は、はあっと大きくため息をつく。
「夏蓮の気分次第ってことか……」
「今日は許してあげてもいいぞ」
「本当?」
 嬉しそうに瞳を輝かせる秋嵐を見て、満足そうに夏蓮は言った。
「さっき助けてくれたしな。それに伯母上の回復次第では明後日には――」
 少し顔を翳らせた夏蓮を見て、秋嵐も寂しげな表情を浮かべる。
「そうだね。明後日は望月だから冥界の生誕の門が開くし、ユウリさんを元の場所へ還せるかもしれない……」
「またいつ会えるかなんて分からないからな」
「そうだね。寂しくなるね」
 同意しながら秋嵐は、夏蓮を静かに抱き寄せると金茶の頭に手を乗せて、よしよしと撫で始めた。一瞬、夏蓮は自分の身に起こったことにきょとんとした顔をしたが、すぐに我に返ってその腕を振りほどいた。
「子供じゃないんだから、人の頭をなでるんじゃな〜い!」
 軽く抱き寄せられていただけだったので、夏蓮は簡単に秋嵐から離れることが出来た。逃げられた秋嵐は少し残念そうな顔をしたものの、平然とした表情をしている。
「う〜ん、何となく?」
「時々、お前の考えてることが分からなくなるよ」
 思わずつぶやいた夏蓮に、秋嵐はぼそりとつぶやく。
「夏蓮にはわからなくていいよ」
「なに?」
 そのつぶやきが聞こえなかった夏蓮が聞き返すと、秋嵐は「何でもない」と言いながら首を横に振った。
「僕たちもそろそろ戻ろう」
「そうだな。汗を流してから伯母上のところへお邪魔しに行こう!」
 二人は練習用の剣を戻しに武器庫のある方へ――悠里が戻っていった方角とは反対の方へかけていった。

 

 

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