緋色の残影

 
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「禍々しい気がこの辺を渦巻いていたので急いで来たのだが、皆、無事なようだな」
 紅と青の漢服の二人の従者を引き連れて飛んできた多羅は、空中から皆の顔を確かめるようにぐるりと見下ろすと、ほっと胸をなでおろした。
(何でもアリの世界だとは思っていたけれど――)
 有弧楼のように頭から耳を生やした人や、人型のレッサーパンダや鬼や竜人、スラオシャのように背中に翼を生やした人がいたりと、現実ではありえないものを見て、悠里は内心思った。
(多羅さん、空飛ぶ牛に乗ってる……)
 そんなのんきな事を考えていた悠里だったが、その一方、悠里とスラオシャ以外の夏蓮・秋嵐・有弧楼は多羅を見て、ぎょっとした顔をしていた。
 その間に多羅は地上へ着地した孔闍陀から降り、多羅を護衛するように追随して飛んできた従者二人も着地して、夏蓮たちに向けて両手を組み合わせて拱手をしてから多羅の背後に控えた。
 背後に控えた多羅の二人の従者達――既望は額の目を開眼させており、十六夜は片方の耳に手を当てながら緊張した面持ちで辺りをうかがうようにしている。
「伯母上、そのお姿は……?」
 瞠目したまま驚きを隠せない声で夏蓮が問うと、多羅は「悪いが、状況が変わった」と答える。
 多羅は先日と同様の白い服を着ていたのだが、その上に肩から腰を保護するための皮製の短甲と呼ばれる鎧を纏っていた。
 多羅の鎧姿を見て狼狽する皆の様子に気付いた悠里は、何かが起こったのだと感じる。
「もうじき、七曜すべて稼動することになる」
 多羅の言葉に、皆は驚きのあまり言葉をなくした。
「七曜すべて、ですか」
 意外そうな顔をしたスラオシャが問うと、多羅はうなずいた。
「うむ。スラオシャ殿にも伝令が来る頃だと思う」
「そうですか。――七曜の稼動は、アスモデの影響でしょうか」
 スラオシャの問いに、多羅は首を横に振る。
「闇国の連中が何らかの方法を使って冥界へ次々と侵入しているらしい。七曜の稼動は、彼らの監視とこれ以上の侵入を防衛するためのもの。――しかし、先ほどの気配の主はアスモデだったのか」
「ええ。アスモデはこの方にちょっかいを出そうとしていたようです」
 スラオシャが悠里を見遣ってそう言うと、多羅は一瞬沈痛な表情をした。
「そうか、悠里を……」
 多羅は小さくつぶやいた後、何かを振りきるように悠里をまっすぐ見た。
「悠里」
「は、はい」
 何かを命じることに慣れた者特有の力強い声で名前を呼ばれ、悠里が思わず背筋を正すと、多羅は告げた。
「急ではあるが、そなたをこれからもとの場所へ帰還させる」
 多羅の言葉に、有弧楼と夏蓮が息を飲んだ。
「多羅様、悠里様はまだご記憶が……」
「わかっている」
 有弧楼の言葉に答えながら多羅は悠里に歩み寄ると、悠里の額に手をかざした。かざされた掌から翡翠色の燐光が溢れ出す。
「本来なら、魂魄の記憶の回復を待って送り返すものだが、今はそこまで時間を割くことは出来ない。強引なやり方になってしまうが、今ここで強制的に回復させる」
「…………」
 多羅の掌から発せられる癒しの力を感じて、悠里は戸惑いつつも目を閉じた。
「すまない、悠里。そなたの回復を待ってはいられない状況になってしまった」
 多羅は本当にすまなそうな顔をしている。目を閉じた悠里は、その表情を見ることは出来なかったが、その声から多羅の心情を伺うことができた。
「私にはよくわからないですけど、そうするしかないみたいですから、しょうがないです」
「皆との挨拶もゆっくり出来なくなってしまい、すまない」
「いいえ、そんな。謝らないで下さい」
 悠里は首を横に振りつつも、短い間だったとはいえ世話になった有弧楼や夏蓮・秋嵐たちと別れるのに少し寂しさを感じていた。それと同時に、ここへ来る前の記憶が徐々に戻ってくるのを感じた。
「多羅さまありがとう」
 閉じていた目を開けて悠里が言うと、多羅はお礼を言われて困惑したような顔をした。
「わたしは責があってそなたを構ってやることはできなかったというのに」
「いいえ。この世界のことを色々教えて下さいました」
「それだけだぞ」
「でも、嬉しかったですよ」
 微笑を浮かべる悠里に、呆れたような顔をする多羅。
「そう言うところは、昔と変わらないな」
「昔――そうね。また、貴女に助けてもらっちゃった」
 一瞬、悠里とは違う人物の表情がその顔に浮かんで、多羅は怪訝そうな顔をする。
「悠里?」
 問いかける多羅に、悠里は更に深い笑みを浮かべる。その笑顔に見覚えのあった多羅ははっとする。
「ありがとう多羅。いつになるかわからないけど、また今度ね」
 そう言うと、夏蓮たちのほうを見てさよならをするように手を振った。
「また逢えてよかった。二人とも立派になって。――見違えたわ」
「!」
 今までの悠里とは違う表情とその口調に、夏蓮と秋嵐は瞠目する。そんな二人を目を細めて慈しむように見てから、有弧楼に視線を向ける。
「有弧楼もいろいろとありがとう」
「紗灯さま……」
 有弧楼は言葉を詰まらせながら、礼を言われるほどではないと言わんばかりに首を横に振った。
「みんなまたね」
 悠里はそう言うと、眠るようにすうっと目を閉じ、意識を失った。その身体が地面に向かって崩れ落ちようとしたとき、慌てて駆け寄った秋嵐が抱きとめた。
「伯母上……」
 秋嵐は抱きとめた悠里を抱えなおすと、ぎゅっと抱きしめる。それを見ながら多羅は、狐につままれたような顔をしていた。
「紗灯が出てくるとは思わなんだ」
「あのお方の性格を考えると、回復を急いだ反動で【出てきてしまった】ようですね」
 孔闍陀がぽつりと言うと、「そうだな」と多羅は笑った。一方、夏蓮は茫然とした表情で、秋嵐の腕の中に居る悠里を見ていた。
「それでも――少しでも話せてよかったです。伯父上には悪いですけどね」
 秋嵐が言うと、今度は苦笑する。
「そうだな」
 多羅は振り返り、後ろに控えたまま周囲へに警戒を怠らない従者達の名を呼んだ。
「既望、十六夜」
 名前を呼ばれた二人の従者は「は」と答え、多羅の前に進み出て跪いた。
「お前たちは、悠里を冥王の元へと無事に送り届けるのだ」
 主から下された役目に、既望が不服そうに「しかし」と声を上げた。
「わたしの守は孔闍陀一人で十分だ」
「なれど我が君――」
 多羅にぴしゃりと言われても更に食い下がろうとした既望の言葉を遮るように、空から声が降ってきた。
「碧霞元君、僭越ながら私もお供させていただきたい」
 力強い声と共に炎のような翼をはためかせて降下してきたのは、迦楼羅だった。
「お前は――」
 声の主を見上げ、確認した多羅は咎めるような声で詰問する。
「任務はどうした」
「本日は生憎別の者が番をしています」
 答えながら着地し、多羅の前に来ると両手を組み合わせて拱手すると片膝を付いた。その隙のない動作を傍で見ていた秋嵐は、怪訝そうな顔をしながら様子を伺っていた。
「そうか」
「はい」
 多羅は突然現れた青年の心を見定めるような視線を向け、青年はそれを無言で受け止める。一瞬だけ見つめ合った両者だったが、意を決した多羅は十六夜を見た。
「十六夜、迦楼羅と共に冥王の元へ行くのだ」
 多羅の決断に、一瞬息を飲んだ十六夜だったが、すぐに「御意」と答えた。
「碧霞元君、随行することを許諾してくださり感謝する」
 承諾を得られた迦楼羅は、言葉通りに多羅に感謝の意を表していたが、多羅は首を横に振る。
「そなたに感謝されるいわれはない。――しかし、そなたがここに現れたのも天の采配なのだろう」
「伯母上さま、この方は?」
 状況を静観していた秋嵐が問うと、多羅は答える。
「紅門の番人、迦楼羅だ」
「紅門の?」
 いつもの姿とは違う迦楼羅を見て意外そうな顔をした秋嵐に、多羅は言った。
「迦楼羅は昔、紗灯の従者をしていたのだ」
「従者? ――え?」
 混乱したように秋嵐は、膝立ちの状態から立ち上がろうとしている迦楼羅を見た。秋嵐より頭一つ高い迦楼羅は視線が合うと拱手して、懐かしい人物に出会ったかのような笑顔を見せた。
                                                         ラクタパクシャ
「お久しぶりです、秋嵐様。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、烙斬白紗です」
「随分面変わりした気がするけど、あの烙斬殿?」
 秋嵐が聞くと、迦楼羅はうなずく。
「今は迦楼羅と名乗っておりますが――」
「道理でどこかで見た顔だと思った」
 納得したような表情の秋嵐を見て、今度は多羅が意外そうな顔をした。
「何だ、二人とも面識はあったのか」
「秋嵐様がお小さい頃、何度かお世話をさせていただいたことがあります」
「そうだったか」
 納得する多羅にうなずいてみせた迦楼羅は、秋嵐の腕の中の悠里を見る。
「紗灯様――今は、悠里様でしたね。お預かりします」
「頼みます」
 秋嵐は悠里を託す。託された方の迦楼羅は悠里を貴重品を扱うように慎重に受け取ると、悠里の背中とひざ裏に腕を回して抱えなおした。
「ここの幽冥門の使用許可は得ている。幽冥の間へ急ぐのだ」
「御意」
「了解した」
 十六夜と迦楼羅が異口同音に答えた時のこと――。 
「私も同行させてください」
 今まで傍観者として見守っていた夏蓮が口を開いた。
「夏蓮、そなたの気持ちは解るが冥界は今危険な状態だ。そなたが普通の兵より武術に秀でていようとも、同行を許すわけにはいかぬ」
「何故ですか!」
 反対されても諦めない様子の夏蓮に、多羅は間髪いれずに言い放った。
「今のそなたの力量では足手まといになるだけだ」
 その容赦のないはっきりとした返答に、夏蓮は悔しげに口を噤んだ。
 その場を一瞬、緊迫とした空気が漂ったが、その空気を取り去るような発言をしたのはスラオシャだった。
「では、こうするのはどうだろうか。夏蓮殿はここに残り、代わりに私が同行するというのは」
「スラオシャ殿が?」
 予想外の人物の提案に、多羅が解せない表情をしていると、スラオシャの肩にいつの間にか止まっていた三本足の金色のカラスが姿を消した。
「今し方、ようやく伝令が私の元に着きましてね、私も冥界方面に用が出来ました。幽冥門を使われるのであれば、それに私も便乗させてもらおうと思う」
「それは心強いが……」
 やや戸惑い気味の多羅に、スラオシャは更に言い募った。
「幽冥門を使えばすぐに冥界へ移動できるが、冥王の元へたどり着くまでの間にアスモデの邪魔が入らないという保障はないだろうからね」
「解りました。手数をかけるが、お願いする」
「お任せくだされ。――では、行きましょうか」
 色々とごたごたしてしまったが、話がうまく纏まると、いつの間にかその場を取り仕切っていたスラオシャが先導するように飛び立ち、それに続いて迦楼羅が翼をはためかせて飛び、殿に十六夜が地面を蹴って空へと跳躍した。


 

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