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 夏蓮たちが急に走り出した理由は悠里には判らなかったが、秋嵐に担がれて目的の場所へと着くまでに通り過ぎていった景色の中、様々なものを目にした。
 屋根と屋根の間に覗いた空の上で胴長の竜が泳ぐように飛んでいたり、時折見える庭園では白い虎と銀色の狐が井戸端会議をするかのように人語を喋っているのが見えた。
 その他にも、この建物の要所要所の警備をしているらしい、レッサーパンダをそのまま人の大きさにしたような者や、頭に角を持った青や赤の肌をした『鬼』のような人がおり、有弧楼と同じような格好をした侍女姿の人狐や、官人風の姿をした鱗のある竜人などともすれ違う。
 彼らは走り過ぎていく夏蓮たちに向けて会釈や拱手をしていたが、空想上の生物のオンパレードと言った感じだったので、悠里はカルチャーショックを受けていた。
(やっぱりここ、普通じゃない)
 悠里が思っていたよりも広い敷地を横断するように疾走していた一行はやがて、目的の場所へと着いた。あれだけ走ったというのに、夏蓮・秋嵐・有弧楼の三人は息一つ乱していなかった。
「ユウリさん、着きましたよ」
 秋嵐に声をかけられるまで、力いっぱいしがみついていたせいか、悠里の手の指はそのまま固まってしまったかのようになっていて、秋嵐の首に回していた手がなかなか外せなかった。
「気付かなくてすみません」
 そんな悠里の状態に気付いて、夏蓮はいたわるように優しく声をかけると、固まっていた指を一本ずつゆっくりと解いてくれた。
「怖かったですよね」
 やや放心状態だった悠里は、疲れた顔をして無言でうなずく。
 夏蓮の言う『怖かった』の意味は秋嵐に運ばれて怖かっただろう、という意味だったのだが、悠里がうなずいたのはジェットコ−スターとかは全く平気でも幽霊屋敷とかは苦手だったからだ。
(レッサーパンダさんはかわいいからいいけど、暗がりとかで鬼の人とかに会ったら怖すぎる……)
 そんなことを考えていた悠里は、気付くと秋嵐の腕から解放され、ベルベットの長椅子の上に座らされていた。
 色々と混乱していた悠里には、どんなルートでここまでたどり着いたか全く見当もつかなかったが、そこは最初に寝かされていた部屋よりも広く、派手さはなかったが、メープル色を基調とした調度品で統一されており、落ち着いたムードの部屋だった。
「スイートルームみたいな部屋……」
 ぽつりと、つぶやく悠里。
 足元に広がる床には鮮やかな花と葉を描いた落ち着いた色味の千花模様の絨毯が敷かれ、繊細な細工を施された木の温もりを感じる楕円形のテーブルと椅子が何脚か置かれていた。
「すいーとるーむ?」
 悠里のつぶやきを拾った夏蓮がオウム返しにつぶやく。
「えっと、私の国の言葉で、広くて高級な客室のことを言います」
「そういう言葉があるんですね。――ちなみにここは僕たちの母の部屋です。不在がちなので、気兼ねなく使える安全な部屋というとここしか思い浮かびませんでした」
「勝手にお借りして、大丈夫なんですか?」
 夏蓮と秋嵐の母の部屋と聞き、悠里は恐縮していたが、二人はそんなことは気にしないような顔をしていた。
「全く問題ないです。私たちの母は、そういうことには全く頓着しない人なので」
 頓着しない、ということは、二人の母はある意味豪快な人なのだろうと悠里は想像した。

 その後、他愛のないことを話すと、夏蓮と秋嵐は何やらやることがあると言って部屋を辞し、有弧楼と二人だけになった。
 回復してきているとはいえ、まだ完全ではないせいか身体が睡眠を欲していたようで、悠里は再び眠気を覚えた。
「そろそろお休みになられた方がよさそうですね」
 悠里の状態に気付いた有弧楼は寝室まで案内し――その寝室も天蓋つきのもので、最初に寝ていたベッドよりも大きく、清潔で肌触りのいいシルクをふんだんに使ったものだった――悠里をベッドに寝かせると、有弧楼は寝室の明かりを少し落として、悠里が眠りやすい環境を作る。
「この部屋は夜魅様のお部屋なので、結界や守護の力もありますが――」
 悠里の目線の高さに合わせるように、有弧楼は絨毯に膝をついて膝立ちの状態になると、衣装の袂にそっと手を忍ばせ、長方形の銀で出来たシガレットケースのようなものを出した。その蓋を開けると中から銀色の細い管を取り出し、それにふっと息を吹きかけた。
 その刹那、管から白くて細長いものが飛び出し――クルリと空中で一回転すると、ブーメランが返ってくるように有弧楼の管を持った方の手の甲に止まった。それを見た瞬間、悠里の表情がぱあっと明るくなる。
「かわいい……」
 有弧楼の手に止まっているのは、全身真っ白で尾だけ黒い、オコジョのような小動物だった。
「闇国が騒がしいとのことですので、念のためではありますが――」
 有弧楼がその手を枕元に近付けると、手の甲に乗っていた小動物は短い足でちょんとベッドに飛び移り、枕の横のスペースで丸くなる。
 その愛らしい姿を目で追っていた悠里は、枕元で丸まる管狐に手を伸ばしてその背中を撫でる。ふわふわした手触りが気持ちよかったが、撫でられているその小動物も気持ちよさそうに目を閉じた。
「使い魔の管狐です。番犬代わりにはなる筈です」
 言いながら有弧楼は、管をケースに戻しそれを袂に戻した。
「番犬?」
「はい。夜魅様から『警戒せよ』とあった以上、何が起こるかわかりません。念のためこちらにも結界を張りますが、用心に越したことはありませんので」
 その口調から、思っているよりも事態は深刻らしいと悠里は感じる。
「そんなに大変な状態なんですか?」
「何も起こらないことを祈るしかありません」
「そうですか」
 少し不安げな表情をした悠里に、有弧楼は優しく微笑みかける。
「悠里様が眠られた後もお傍におりますからご安心を。ただ、状況によっては悠里様のお傍に居られなくなる場合もあるかもしれませんので、これはあくまでも保険です」
「保険、ですか」
「はい」
 有弧楼がうなずいた後、二人の会話はここで途切れる。悠里が眠りについたせいだった。
「今度はお傍を離れたりはしません――」
 有弧楼の何かを決意したようなつぶやきを、悠里の耳は捕えることはなかった。

 

 

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