水のはなし 4   



 
(リアルピ−ターラビット?)
 魔法使いのような格好をしたその白いウサギは、身長が145センチの友樹と同じくらいの背丈をしており、後ろ足で立っていた。普通なら、自分と同じ位の背丈のウサギを見て驚くなりするところだが、カッパを見て耐性ができていたせいか、猫やウサギなど小動物が好きな友樹は、思わず見とれてしまった。
(あのもふもふした耳、触ってみたい……)
 上目遣いにウサギの耳をちらちら見ながらそんなことを思っている友樹をよそに、出迎えてくれた白ウサギにカッパは驚いたような表情をして話しかける。
「ノックする前に開けるなんて、流石うさポン先生!」
「そんなことはないですよ」
 うさポン先生と呼ばれた白ウサギはくすくす笑う。その口から発せられるのは、若い男性のやわらかな声だった。
「【蝕】の直後に咲耶山の気配が騒がしい感じだったのもあったけど――」
 そう言いながらうさポンは、さっきまで友樹たちがいた山をちらりと見やり、面白そうに話した。
「カッパくんが派手に泥水の飛沫上げて降りてくるのが見えたからに決まっているじゃありませんか」
「下りてくるの見えてたんじゃ、来るのもわかっちゃうか」
「そういうことです。――ところで彼は?」
「え〜と、山の途中で遭ったから保護しました」
 話の矛先が自分に向いたのを感じて友樹は緊張する。
「彼は【客人】――しかも、【来訪者】のようですね」
「えっ、【来訪者】? ホントですか!?」
「彼から睡龍様の気配を感じます。間違いありません」
「山の中で人に会うなんて珍しいとは思ってたけど、【来訪者】だったなんて凄いや」
「?」
 友樹のことを話しているようだが、友樹本人には聞きなれない単語の羅列だったので、カッパとうさポンの間で交わされる話についていけなかった。
(まれびと? らいほうしゃ? すいりゅうさま?)
「あ、ごめんトモキ。この人がさっき話したうさポン先生。この幽玄郷の管理者だよ」
 何気にカッパはすごいことを言っていたのだが、緊張していた上に多少の混乱も混じっていたので友樹の耳と頭にそれは入らなかった。
「私の名は、イナバ。皆は『うさポン』と呼ぶので、うさポンと呼んでください」
「イナバさんなのに、うさポンさんでいいんですか?」
 思わず聞いてしまった友樹に、イナバは「ええ」とうなずく。
「好きなように呼んでください」
 そう言ってイナバは、にっこりと微笑む。その微笑みは、見るだけで心が和んでしまうものだった。
(うわ〜、かわいい……)
 またイナバに見とれてしまう友樹。一方、そんな友樹を怪訝に見上げるカッパ。
「トモキ?」
 呼びかけられて、友樹ははっと我に返る。見るだけで和んでしまうイナバと目が合い、照れ隠しに頭をかきながら言った。
「じゃ、僕はイナバさんで……」
 それを聞いたイナバは一瞬驚いた顔をしたが――友樹はその微妙な変化に気付かなかった――微笑んだ。
「わかりました。トモキくん、よろしくね」
「よ、よろしく……」
 握手を求められ、握手する友樹。真っ白な体毛で覆われた手だったので――友樹は掌のあたりに肉球があると思っていた――、毛皮の手袋をした人と握手したみたいだなと思った。
「おじゃましま〜す!」
 カッパはマイペースな性格なのか、勝手知ったる他人の家といった感じで中へずかずか入っていってしまった。それに気付いた友樹は、中へ入っていくカッパを見送るようにただ目で追ってしまった。
「さ、遠慮せずに入って」
「お、お邪魔します……」
 イナバに促されて友樹はおずおずと小屋の中へ入るのだが、中に入ると外から見た印象とは全く違う室内だったので茫然とする。
(何でかわからないけど、この家すごい……)
 見た目がログハウス風だったので、中もそういう造りになっていると思っていたのに、友樹の目に映っているのは近代和風建築の高い吹き抜けのあるエントランスホールだった。
 臙脂色の絨毯が敷き詰められた床には埃一つなく、正面に見える二階への階段のチョコレート色をした手すりは綺麗に磨かれており、落ち着いた光沢を放っている。建材の木の匂いなのか、家の中はヒノキのような匂いがして、なぜか心が落ち着いた。
「靴は脱がなくていいですよ」
 玄関先で靴を脱ごうとした友樹はイナバに言われ、そのまま入ることにした。
 友樹の後ろでパタンと音を立てて閉まった扉にイナバが鍵をかけたとき、外から風のうなる音が響き、家の壁や窓を激しく打ち付ける雨の音が聞こえてきた。
「ギリギリセーフだったみたいですね」
 そうイナバが言った時、暗くなり始めていた室内に明かりが突如灯りだし、滝のような雨の降る音が扉の向こうから響いてきた。
「あ、執事さんこんにちは。お邪魔してま〜す」
 先に入って行ったカッパがエントランスの出窓に腰かけて外の景色を眺めようとしていたら、どこからともなく現れた白と黒のゴシック調のメイド服を着た黒い羊に気付き、声をかけた。こっちの羊も、イナバと同様後ろ足で立っている。
「こんにちは。今日はかなり派手にやりましたね」
「今日が【蝕】の日だってこと、うっかり忘れちゃって山に昇っちゃったんだよね」
「そうでしたか」
 声はキャリア系のきびきびした感じの大人の女性のものだったが、見た目は黒い羊である。しかも、カッパはさっきこの羊を『執事さん』と呼んでいた。
(メイドさんの服着てるのに、執事なんだ……)
 突っ込みどころが他とどこかずれているような気もしなかったが、友樹がそんなことを思っていると、黒羊の姿を認めたイナバが言った。
「執事のピエールです。湯殿の用意ができたようですから、先に湯あみをするとよいでしょう」
 ピエールと呼ばれた黒羊は、友樹に向けて恭しく一礼した。思わずつられて友樹も会釈する。
「湯殿へご案内したします」
「あ、はい」
 湯殿や湯あみという聞きなれない言葉を聞きつつも、湯がついてるから何となくお風呂のことだろうと理解した友樹は、イナバにぺこりと頭を下げてから、ピエールと呼ばれた執事の後に続いた。
「河伯殿もよろしければ、ご一緒にどうぞ」
「カッパでいいって言ってるのに」
 そう言いながら、カッパも風呂に入る気になったらしく、腰かけていた出窓の縁からポンと飛び降りて、ピエールと並ぶように歩きだした。
「そういうわけにはいきませんよ。河伯殿は私の兄弟子に当たる方ですから」
「そうはいっても、執事さんとは30歳しか年違わないじゃん」
 てくてくと先陣を切って歩くピエールと、空中をふよふよと飛んでいるカッパの後に一人でついていく形になった友樹は、見た目よりもかなり広い家の中をきょろきょろ見つつ、二人が何気にすごい会話をしていることに気付いて思わず聞いてしまった。
「カッパくんって何歳なの?」
「う〜んとね。だいたい、130歳くらい?」
 体の向きをくるりと友樹の方に向けたカッパは、少し考えるような仕草をして答えると、立ち止ったピエールが嘘はいけませんよと言わんばかりの視線を向けた。
 なぜなら、本当は130歳どころか、2000年を超える歳月をカッパは生きているのだ。友樹がこの事実を知るのは少し後のことになるのだが、友樹は驚きを隠せずに身を乗り出した。
「え〜っ!? 僕と同じ位だと思ってたのに、カッパくんてすっごいおじいちゃんだったの?」
 友樹の純粋な反応が予想外だったのか、カッパはげらげら笑い出した。その反応が友樹にとっても予想外だったせいか、友樹は怪訝な顔をする。
「……そんなにおかしいこと、言った?」
 笑いすぎて涙目になりながら、カッパは頭をうんうんと縦に振った。
「おかしくはないんだけど、すごいおじいちゃんか〜。――トモキはいくつなの?」
「10歳」
「そっか、まだ10歳か。10歳から見たら130歳ってすごいおじいちゃんだよな〜」
 おじいちゃん呼ばわりされても平気そうなカッパだったが、感慨深げに何かを言おうとした時――いきなりドーンと大音量で大きな雷鳴がとどろいた。
「!」
 その音のあまりの大きさに驚いた友樹は思わずその場にしゃがみ込み、耳をふさいだ。雷鳴の音と波動が館全体を覆い、びりびりと空気を震わせる。
「うわ〜、いきなり真上に落ちた!」
 突然の大音響に怯えている友樹をよそに、雷にたじろぐこともなかったカッパは天井を仰いでいた。
「先に湯殿に行ってください。様子を見てきます」
「わかった」
 ピエールはまわれ右して、エントランスの方へ引き返していった。
「トモキ、大丈夫?」
 しゃがみ込んでしまった友樹を心配して、カッパは友樹の顔を覗き込む。
「…………」
 耳がおかしくなったんじゃないかと思うくらい、友樹の耳の奥でくわんくわんと雷鳴の残響が響いている。
「おーい、聞こえてる〜?」
「……うん、聞こえる」
 ギュッと閉じていた目を開けて、目の前のカッパを見た。
「びっくりした……」
「立てる?」
 友樹を気遣って、カッパが手を差しのべてくれた。友樹は「……たぶん」と答えながらその手を取って、少しよろけながら立ち上がった。
             

 

水のはなし 3                    水のはなし 5

  

 

Copyright (C) 2009-2010 Blue Moon Sunset. All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system