水のはなし 5   

 

「すごい。『千と千尋』みたいだ!」
 脱衣所で着ていた服を脱ぎ、カッパとともに浴場へ足を踏み入れた友樹の第一声がそれだった。
 カッパに連れられてきた浴室は、ジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』に出てくる湯屋のように天井が高く、バスケットのコートを1面とったくらいの広さがあった。
 綺麗に磨き上げられ、敷き詰められた黒曜石の石畳はひんやりとしていたが、湯気にけぶる浴場をほのかな明かりが燈していて、四方の板張りの壁には幽玄郷の咲耶山を中心としたパノラマ風景が描かれていた。
 浴室の中央には巨大な岩をくりぬいた岩風呂が据えられており、それは温泉旅館にある大浴場の風呂と同じくらいの大きさで、風呂の脇に添えられた龍の形をした彫刻の口からはかけ流しの湯がとぽとぽと音をたてて浴槽に落ちている。
「せんとちひろ?」
 出入口の扉をがらがらと閉めながら、カッパは浴場を見て感動している友樹を見上げる。
「うん。ジブリのアニメで、八百万の神様が入りに来るお風呂屋さんが舞台の話なんだけど……」
 友樹の話を聞きつつ、脇に置かれた木で造られた風呂桶をひょいと拾い上げて友樹に手渡そうとしたカッパは、「じぶりのあにめ?」と不思議そうな顔をする。
「ありがとう」
 カッパがその手に抱えた桶を自分に渡そうとしていたらしいことに気付いた友樹はそれを受け取る。
「どういたしまして」
 カッパは自分用の桶を新たに手にすると、ふよふよ飛びながら浴槽の方へと進んだ。
「それでね」
 友樹はその後を追いながら、決して多くはないボキャブラリーを駆使して、アニメのことを説明する。
「漫画の映画みたいなやつがあるんだ?」
 友樹の話をおぼろげに理解しながらカッパは浴槽の縁の近くに着地し、桶を浴槽に入れて湯をすくうと頭からそれをかぶった。ざざーっと湯が流れ落ちる音が響き、床に落ちたお湯は石畳の石に吸収されるようにして消えていく。
「うん。その話に出てくる場所が、ここに似た感じなんだ……」
 カッパの隣にしゃがんで湯を桶に取った友樹は、カッパが理解してくれたようだと感じて嬉しく思いながら、湯を入れた桶を頭に傾けて髪をすすいだ。数回すすぐと、山を下りるときに髪に付いた泥が完全に落ちた。
「ユズの匂いがすると思ったら、ユズ湯だ」
「あ、本当だ」
 カッパの言う通り、湯船にはたくさんの柚が浮かんでいた。アニメの説明をするのに夢中で気付かなかった友樹だったが、柚と一緒に真っ白で五枚の花弁を開いた花も散らされていることに気付いた。
「この白い花は?」
「ユズの花だよ。見たことない?」
 カッパに聞かれて、今度は体に掛け湯をしながら友樹はかぶりを横に振る。
「へぇ〜、はじめて見た」
「そっか」
 カッパはもう一度湯をすくって頭からかぶると、桶をその場に置くなり勢いよくジャンプして浴槽に飛び込んだ。目の前で大きな波と飛沫が発生し、友樹はそれらをもろにかぶってしまった。
「わっ」
「あ、ごめん。いつもみたいに飛び込んじゃった」
 全く悪気はなかったらしく、湯船から顔を出したカッパが謝ってきた。抗議しようとした友樹は、カッパのお皿に湯船に散らされていた花が一輪乗っていたのがおかしくて怒る気をなくし――銭湯のエチケットを思い出して問いかけた。
「体とかは洗わなくていいの?」
「うん。軽く流すだけでいいよ」
 そう答えるカッパは、お風呂のお供のアヒルちゃんみたいに湯船にぷかぷか浮いている。心なしか気持ちよさそうだ。
「えっ、流すだけでいいの?」
「大丈夫。トモキそんなに汚れてないし」
「わかった」
 カッパが置いた桶の近くに自分のそれを置いた友樹は、湯船にそっーと足を入れる。深さは友樹の膝くらいまであったが、浴槽の中は大きな温泉と一緒で段差があった。
 その段差はもう一段あったので、友樹の身長ならば今浸かっているところに腰をかけるようにすればしっかりお湯に浸かれそうだった。
「…………」
 それに気付くと同時に、友樹は悪戯心が起こり――お返しと言わんばかりにカッパの方へジャンプした。どぼんという音と共に湯の柱と小さな津波が起こる。
「うばっ」
 カッパは湯柱をもろにかぶったあげく、湯船に体を浮かせていたせいか、友樹が起こした湯の波に巻き込まれて反対側の縁へ、小舟のように流されてしまう。反対側の縁へ流れ着いたカッパは、湯船から顔を出して悪戯っぽい顔をした友樹を見つけると、猛スピードで泳いで戻ってくる。
「トモキ、やったな〜」
「ごめんなさ〜い」
 カッパと友樹はギャーギャーはしゃぎながら、学校のプールと同じくらいの深さのある湯船で追いかけっこを始めた。
 それは泳ぎが得意なカッパにかなり有利な追いかけっこではあったが、数分後――遊び疲れたカッパと友樹は湯船の浅い所に腰をかけ落ち着くことにした。
「あ〜疲れた」
「え〜っ、もう疲れたの?」
「しょうがないじゃない。こんなに大きなお風呂で遊ぶの、はじめてだし」
「ボクも久しぶりに遊んじゃったな〜」
 カッパと友樹は顔を見合わせて、笑い合う。その時、ピエールの声が響いた。
「河伯殿、湯加減はいかがですか?」
 カッパと友樹は、声のした方を――出入り口を見る。さっきはメイド服を着ていたピエールだったが、今はちゃんと執事の服を着ていた。
「ちょうどいいよ」
「それはよかった。今日は『冬至』なので柚の実と花を散らしてみました」
「そういえば今日って、『冬至』だ……」
 そうつぶやきながら友樹は、こんな風に幽玄郷に来ていなければ、今頃はお祖母ちゃんの家で入っていたはずだったんじゃないかと頭の隅で思った。
「ちなみに、柚子の花言葉は『健康美』と『汚れなき人』。幹や枝には棘があるので注意しなければなりませんが、可憐な純白の花が終わった後には、病邪を追い払うと言われている実をつけます。柚湯は、江戸時代に銭湯で客寄せのために冬至にゆずを入れて宣伝したのが始まりと言われていますけどね」
「へぇ〜」
 ピエールからトリビアめいたことを教えられ、感心してしまう友樹だった。
「上の様子はどうだった?」
「問題ありませんでした。獅子王様が雷に乗じてお越しになったぐらいです」
「えっ、何で獅子王さま?」
「そちらの【来訪者】殿の件らしいです」
「まじ〜?」
 そんなこと聞いてないよ、といわんばかりの勢いでカッパが声を上げた。

          らんじゅおう   せんげんおう
「はい。今し方、嵐朱王様と泉玄王様もほぼ同時にお着きになったようですので――お出迎えに行ってきます」
 くるりと回れ右をして、ピエールは去っていった。
「ししおうさまって、どんな人?」
 ピエールとカッパの会話についていけなくて黙って聞いていた友樹が問いかけると、う〜んとうなりながらカッパは教えてくれた。
「えっとね、トモキの国で言う総理大臣みたいな人で、強くて偉い人なんだ。どういうわけか、トモキが幽玄郷に来ちゃったことが原因でここに来てるらしい」
「他の人も?」
「たぶん」
「じゃ、遊んでる場合じゃないんだ?」
「そうだね」
 顔を見合わせたカッパと友樹はいそいそと浴室から出る。移動した脱衣所にはピエールが用意してくれたのだろう、友樹がさっき着ていた服を脱いだ場所に着替えとタオルが置かれていた。
「拭かなくていいの?」
 用意されたタオルで体を拭きながら、友樹は脱衣所に置かれた籐椅子に腰かけたカッパを見遣った。
「うん。タオルは要らない」
 カッパはそう言いながら小さな人差し指を立て、くるりと回した。その途端、カッパの周りだけ、小さな旋風が起こった。
 風が起こる瞬間を見、その後に起こった変化を目にした友樹は思わず「すげ〜!」と、大声をあげてしまった――。

≪ 続く ≫

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