水のはなし 2
それは、若草色の丸っこい物体だった。
しかも、動いてしゃべっている。
「こんな所に岩なんかあったっけ?」
痛たたと言いながら、その謎の生物はリュックのようなものを背負っている背中(?)をさする。
「カメの新種……?」
思わず友樹がつぶやくと、そのつぶやきに反応した生物は、「カメじゃないもんカッパだもん!」と、猛烈な抗議を返してきた。
しかし、カッパだと叫んだ謎の生物は友樹の姿を確認した途端、びっくりした顔(?)をしてつぶやいた。
「えっ、人間?」
少年とカッパの目と目が合った次の瞬間――。
ザーッ――
晴天だった空はいつの間にか雨雲で覆われていて、滝のような雨が二人を襲った。
「わっ、とうとう梅雨になっちゃったよ」
雨が降り出し、困ったような声を上げて空を仰いだカッパだったが、端から見ると全然困った感じがしない。
なぜなら、少し暖かい雨に打たれて目を細めているカッパの表情は、気持ちよさそうだったからだ。
一方、いきなりずぶぬれになってしまった友樹は、頭が混乱していた。
「さっきまで満開だったのに……」
いつのまにか、周りの木はすべて葉桜になっていた。
普段は起こり得ない周辺の変化についていけなくて、友樹は茫然と雨に打たれていたが、そうしている間にも友樹の服は雨を吸って少しずつ重くなっていく。
「僕はカッパ! キミの名前は?」
「友樹……」
「トモキ、だね? 僕と一緒に来て!」
何が何だかわからなかった友樹だったが、カッパに促されるまま咲耶山を下山することになった。
降り注ぐ雨が、地面を覆っていた桜の花びらをさらって斜面を伝い下りていき、その雨の影響で、水を吸った地面はぬかるみ始めていた。
「うわっ」
都会のコンクリートで舗装された道しか知らない友樹は、慣れない山道とすべる地面に何度も足をとられて転倒する。
おかげで友樹の姿は、泥んこ遊びをしたかのように、全身泥だらけになっていた。
(最悪……)
今までこんなに泥だらけになった経験がなかった友樹は、服を泥で汚してしまったことや全身に付いた泥の感触が好きになれなくて、少し半泣きになっていた。
そんな友樹を見かねたカッパがぽつりとつぶやく。
「あんまり使いたくないけど、しかたないな〜」
「?」
そのつぶやきを聞いた友樹がカッパの方を見たとき、カッパは背中の甲羅に手をまわし、それをしゅたっと外した――ように見えたが、外したものは甲羅を保護するカバーのようなものだった。
そのカバーは透明のプラスチックのようなものだったが、カッパはそれを両手でつかむと横に引っ張り、適当な大きさに広げると湾曲した部分を下にして地面に置いた。
「トモキ、これに乗って」
「えっ?」
「いいから!」
カッパは有無を言わせずに友樹をその伸縮自在のカバーに座らせ、友樹の背中を押した。
「!」
友樹を乗せたカバーが、カッパに押されて次の斜面に向かって動くのを感じて、『小さいのに、意外と力持ちなんだな〜』と思った。
「ちゃんとつかまっててよ」
カッパはそう言うと、友樹の背中に飛びついた。
次の瞬間――。
友樹の身体は傾き、山の斜面をスピードを上げて滑り降りていくのを感じた。
「うわーっ!」
思った以上にスピードが出ているので、友樹は悲鳴をあげた。目が回るんじゃないかと思うくらい、周囲の景色がありえない速さで通り過ぎていく。
「ぎゃ〜〜!」
こんなにスピードが出るものだとわかっていたら、カッパが言うままに乗らなかったのにと後悔するほど、友樹はジェットコースターの類が苦手だった。
「きゃはははは……」
一方、友樹の背中に掴まったままでいるカッパは、楽しそうな歓声を上げていた。
悲鳴と歓声が咲耶山に響く中、甲羅カバーのソリは泥水の飛沫をばーっと派手に上げて、麓まで続く坂道を滑り降りていく……。
「トモキ、着いたよ」
身体全体に雨と風を感じながら怖くてずっと目を閉じていた友樹は、カッパに声をかけられるまで、自分が山の麓に着いたことに気付かなかった。
「怖かった……」
「トモキはああいうのダメなの?」
カッパに聞かれて、正直にうなずく友樹。
「そうなんだ〜。楽しいのに☆」
残念そうな感じのカッパに、「怖いだけで、楽しくないよ」と友樹は返す。
「トモキは怖がりなんだね。もったいないな〜」
何がもったいないのか分からなかったが、怖がりと言われた友樹は腹が立った。
「苦手なものは苦手なんだからしょうがないじゃないか!」
「怒らなくたっていいじゃん……」
意外と短気な友樹を見ても、全然気にしていない感じのカッパは、ソリにしていた甲羅カバーを拾い上げた。
すると、すぐそばにあったお堀――この時、友樹は川だと思っていたが、その堀は山をぐるりと囲むように作られている――に近寄り、カバーを水に浸して振り洗いしてからぶんぶんと軽く水を切って元の形にすると、背中の甲羅の上に装着した。
その時やっと、友樹には周りを見る余裕が出来たのだが、目の前に広がっていたのはのどかな田園風景だった。
「…………」
さっきまで降っていた雨がようやく上がり、ビルのような背の高い建物がまったくない、広く開けた空には入道雲が現れ、夏の青空が広がっていた――。
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