水のはなし 1   

 

                                 ショクイン
 幽玄郷は、千里もあったとされる太古の龍・燭陰が地中深くに眠る地である。

                                     セイメイ       キッカ     ハスカゼ       スイセン          ヒガン 
 その地上には東西南北とその中央に里が作られ、東は清明、西は菊華、南は蓮風、北は水泉、中央は日願と名付けられ
ていた。
                   
 さくややま

 その日願の里の中心部には咲耶山と呼ばれる、様々な色と種類の桜が何千本も植えられている小高い山があった。
 その咲耶山のてっぺんにあたる中心部には、他の桜よりもさらに大きな桜の木が大地に根付いていた。
                                                       
キ リン
 薄く緑のかかった黄色の花を咲かせる桜の木は、幽玄郷の神樹といわれる鬱金桜で、祇鱗という名が付いていた。
 祇鱗は神樹といわれるだけあって、大地から天空に向かってのびるその姿は荘厳だったが、その神樹の大振りの枝に、短い手足でよじ登り、「よいしょ」と腰掛ける影がひとつあった。
 それは、見識のある者に見つかれば、「罰当たり」と言われかねない行為ではあったが、その者にとっては『そんなことお構いなし』の日常行為の一環でもあった。
 若草色の肌、レモン色のくちばし、大きくつぶらな瞳。
 頭にはギザギザがついたお皿を乗せている。
 その者は背中にしょっていたレモン色の巾着を下ろすと、その中に無造作に詰め込まれていた細長い緑色の物体を取り出し――にぱっと嬉しそうに顔をほころばせた。

 その者は、それにかぶりつこうとしたが、あることを思い出して手と口を止めた。
  スイリュウ
「睡龍様、今日も『命の恵み』をありがとう☆ ――いただきます」
 両手を合わせて睡龍――睡龍というのは、龍の守人たちが燭陰のことを呼ぶとき口にする別称である――に感謝をささげると、持参してきた食べ物にかぶりついた。
「う〜ん、今日もジューシーでカッパ感激☆」
 好物のひとつであるキュウリを味わうようにして食べていた者――カッパ・ガブリ・エイルは、しばらくぱりぽりと食べていたが、花見をすることも忘れていなかった。
 雲ひとつない青い空の下、山頂から麓へ放射線状に広がる紅・白・緑・紫の桜のコントラスト。
「今日もいい眺めだなぁ」
 思わずそうつぶやいてしまうくらい、山のてっぺんから見下ろす景色は絶景だった。
「風も気持いい……」
 やさしい日差しの、ゆったりとした昼下がりのひと時。
 キュウリでお腹を満たしたカッパは、あまりの心地よさで眠くなってしまい、あふあふと小さなあくびをする。
 そしてそのまま昼寝してしまおうかと思った時、空で輝く太陽の光が先ほどより少し強くなり、光を増した。
 その数瞬後、咲いたまま時を止めていた周りの桜が少しずつ散り始める。
 それはカッパが腰掛けているご神木も例外ではなく、雪が降るように萌黄色の花びらが降り注ぐ。
「そういえば、今日は【蝕】の日だったっけ」
 カッパの言う【蝕】の日と言うのは、新月あるいは満月の日に当たるのだが、二十四節に当たる日も【蝕】であり、その日はちょうど冬至に当たる日だった。
 常春の世界である幽玄郷では、 【蝕】の日に四季が一気に駆け巡り、気候がめまぐるしく変化する。
 詳しいメカニズムはこの世界に住まう者にも謎であったが、その【蝕】もたまに暦とは関係なくイレギュラーで起こることもあり、この地の奥深くで眠る燭陰の気まぐれで起こるとも言われている。
 しかし、その【蝕】が起こると、常に桜が咲き誇っている世界は一変して、真夏に咲く睡蓮が目覚めるように咲き、緑色の紅葉が紅く染まる。常緑樹を除いた様々な植物はやがて落葉し、幽玄郷はあっという間に銀世界になるのだ。
 それは日付が変わる頃には通常の状態に戻るのだが、うかうかしていると風邪でもひきかねない。
「そうなると、ゆっくりお昼寝できないな……」
 カッパは巾着の口を閉め、空になったそれを再び背負うと座っていた枝からぴょんと飛び降りた。
 止まっていた枝の高さはかなりのものだったが、落下の途中に横からぶわりと強風が吹き、山全体に桜吹雪が舞い起こった。
「!」
 それはある意味、幻想的な風景だったが、その桜吹雪のど真ん中にいたカッパは、吹き付ける花台風のなかで砂塵から目をかばうように手を覆ったが、少し風に流されてしまった。
「びっくりしたあ」
 うまく着地したカッパは不意に巻き込まれた桜吹雪にどぎまぎしつつも、ここに来たときにはなかった桜の花びらの絨毯が地表を覆っていることに気付いた。
「もしかして、ちょっとやばいかも?」
 思わずつぶやいたとき、周りの桜は花びらをすべて落とし、ゆっくりではあったがその枝に緑色の葉を生やしていた。
 カッパは慌てて自分の住まいがある清明の里のある方向へ駆け出し、下り坂になる地点までくるとごろんと地面に横たわり――下り坂に向かって勢いよく転がった。走って駆け下りるより、転がって下りた方が早いと思ったのだろう。
「きゃははは、一回やってみたかったんだよね〜」
 花びらを巻き起こしながら、猛スピードでカッパは麓を目指して転がり落ちていく……。

 

 

 

 カッパが慌てて下山を始めた頃――。
 咲耶山の中腹で、その少年は目覚めた。

          なかい ともき
 少年の名は、中井友樹。
年は10歳――小学4年生だ。
(……雪?)
 目覚めた友樹は、青い空をバックに降り注ぐ白いものを見て、最初は雪だと思っていた。
 しかし、視界を――そして自分の身体を埋め尽くすかのように降ってくるものが肌に触れても冷たく感じないことに気付く。
(はなびら?)
 自分に向かって降り注ぐ桜の花びらがあまりにも綺麗だったので、友樹はそれをぼんやりと見ていた。
 しばらく桜吹雪を見ていた友樹は、自分が降り注ぐ桜の花びらに半ば埋もれかかっているのに気付いて身体を起こす。
 周りを見ると、そこは見たことも来た事もない場所だった。
「ここ、どこ?」
 まぶしいくらいの晴天だった。
 友樹は花見に来た記憶はまったくなかったし、この常春の世界には不似合いな、黒いタートルネックのセーターと厚手でこげ茶のコーデュロイのパンツをはいていた。
 寒さの残る春先ならともかく、友樹は今、初夏の香りのする場所にいた。
 その為、額に汗が滲み、身体が少し汗ばむくらいの暑さを感じ――しかも、気温が少しずつ上がっていくのが肌で感じられた。
「あっつ〜」
 暑さに我慢しきれずに友樹がセーターを脱ごうとした時――それは起こった。
  

 どん!

 ごんっ!

 何かが全速力で友樹の背中にぶつかってきた。
 それは背中にぶつかるとバウンドし、その勢いで友樹の後頭部にぶつかると、腰の後ろで止まった。
「〜〜〜っ!」
 予想だにしなかった衝撃の影響で、上半身を前に突っ伏した格好の友樹は目をチカチカさせ、背中を襲った痛みに涙目になる。
(何が起こったんだ……?)
 突然の出来事だったので、自分の身に何が起こったのかわからなかった友樹だったが、「いたたたた……」と、背中から自分の声よりも高い男の子の声がして、頭と背中をさすりながら涙目で振り返った。
(なんだこれ)
 そこには、見たことのない物体が、いた――。


 

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