緋色の残影
 

  ―  8  ―


 それは夢であり、現でもある場所。
 あるべきところへ戻ろうとしている魂は、束の間の現の幻を見ていた。


 生命維持に使用される様々な機材が作動している音が響く、生活感の全くない殺風景な病室。明かり取りの窓の向こうは真っ暗で、かすかな照明が薄暗い病室を照らしているだけだった。
 病室のベッドには、頭に包帯を巻かれた女性が酸素吸入器をつけられて寝かされており、その傍には女性の身内と思われる、30歳前後の男性の姿があった。しかし、その男性は疲れているのか、女性の手を包むように握ったまま椅子に腰かけた状態で、器用にうたた寝をしていた。
『裕貴らしい……』
 天井から見下ろしていた魂は――ベットに横たわる女性と同じ貌をしていた――苦笑しながらその男性の傍らに舞い降り、男性の少しやつれた顔を見てつぶやく。
『心配かけてごめん』
 そのつぶやきは空気を震わせることはなく、相手の耳に届くものではなかった。それでも、その魂は語りかける。
『もうすぐ帰るから』
 語りかけた次の刹那――その魂は急に何かに体が引っ張られるのを感じ、それに身を任せた――魂はその場から消えた。
 その魂がそこにいたのはほんの数瞬のことだったが、人の目には見えない魂がそこから消失するのと入れ違いになるように、座った状態で船をこいでいた男性は目を覚ました。
「あ、やべ。寝てた」
 女性の手を包んでいた手をそっと解きながら、眠け眼をこすり――男性は来た時よりも暗くなっている病室の暗さに驚いた。
「げ。暗い……」
 その時、タイミング良くコンコンとノックする音がして、男性はびくっとして振り返る。振り返った先の扉が静かに開いて、40代後半のベテラン看護師が姿を現した。
「人の声がしたので覗いてみたんですけど、高岡さんまだいらしてたんですね」
 看護師はそう言いながら、病室の電気を点けて中に入った。
「うたた寝しちゃったようで……」
 急に明るくなった病室に目を白黒させながら、高岡と呼ばれた男性は苦笑して答えた。
「そうですか。お仕事とか色々、大変ですものね」
「すみません。もう面会時間、過ぎてますよね……?」
 高岡に聞かれて、看護師は腕時計を確認した。
「もうすぐ八時になります」
「もうそんな時間ですか」
 看護師は「はい」とうなずいた。
「高岡さんもお疲れのようですし、帰って休まれたほうがいいですよ」
「ご迷惑おかけしてすみません。すぐ帰ります」
 高岡はそそくさと席を立ち、脇に置いていたコートをつかむ。
「悠里、明日また来るね」
 ベットで眠る女性に高岡は声をかけると、外の廊下へと移動する。
「追い出すみたいに声をかけてしまって、ごめんなさいね。規則だというのもあるけれど、奥様の意識が戻った時に旦那様の方も倒れでもしてたら大変ですから。後は私たちに任せてください」
 看護師は抑えた声で言うと、先ほど点けた電気を消した。病室はもとの薄明かりの状態に戻り――扉は閉まった。

 

   *  *  *

 

「…………」
 色々な夢を見たのに、目覚めた直後それらは頭に全く残っていないような状態で、悠里は目覚める。その時、太極へ来る前の記憶がすべて戻っていたのだが、ここへ来る直前の出来事が――その記憶が鮮烈だったせいか、我知らず声をあげていた。
「えっ、うそっ!? 友樹くん!」
 そばにいた誰かを守るように抱えた悠里は、全身にぐっと力を込める。いきなり頭を抱えられた『誰か』は、驚愕して体を緊張させたのだが、そんなことは知らない悠里はすぐに襲ってくるはずの衝撃に備え、目を強く閉じた。
 ――が、その衝撃はいつまで待っても来ず、抱えていた『誰か』が記憶よりも大きくて、あれ? と首をかしげた悠里は至近距離で見知らぬ人と目があった。飴玉のような琥珀色の目をした、深紅の髪の男性。
「わわっ」
 離れようとして、その人に抱えられた状態だということに気付いて、悠里はさらに驚く。
「ええっ?」
「気付かれたようですね」
 背後から聞き覚えのある声がしたので、悠里は混乱しながら視線を向けた。いつもよりも高い目線だったが、そこには銀色の目をした紺青の髪の女性がいた。掌より大きな、象の耳に似た形の耳の持ち主だったこともあって、その女性が誰だか思い出す。
「あなたは確か、多羅さんの……?」
「はい。十六夜でございます。覚えていただいていたとは光栄です。こうしてお話しするのは初めてですが――」
「そういえば、さっき多羅さんと話してた筈なんだけど……?」
 首を傾げまくっている悠里に、十六夜は説明する。
「急激な回復だったので、途中で識覚を失われたようです」
「しきかく?」
「ああ、すみません。意識と言った方がわかりやすかったですね。本当はもう少し時間をかけるべきことなのに、急いで回復してしまったのでそれに魂魄が耐えられずに意識がブラックアウトしてしまった、という感じです」
 分かりやすいような分かりにくいような説明で、何となくだが悠里も納得した。
「え〜っと、気絶したような状態?」
「まあ、そのような感じです」
 寒色系の色合いの目と髪の色なので、クールで冷たい印象を与える雰囲気を醸している十六夜だったが、悠里と意思の疎通がうまくいったことで、春の日差しのような微笑を浮かべた。
「ここへ来る直前――事故か何かに巻き込まれたようですね?」
 前方を歩いていたらしい男性の声がし、悠里は声のした方を――前の方を向く。金髪にマラカイトグリーンの瞳をした、白い外套をまとった孔雀色の翼のある青年。
「あなたはあの時の」
「スラオシャと申します。あの時は殺伐としていたので、ご挨拶も出来ませんでしたが」
「いいえ。あの時は助けて下さり、ありがとうございました」
「あれは私の責務の一つですので、お気持ちだけいただきます。――話を戻しても?」
 スラオシャの言わんとすることを悟り、悠里はうなずいた。
「あの時私は高速バスに乗っていて、隣りになった男の子と仲良くなって色々な話をしていました。都市部からかなり離れた頃、ごーっと音がしたと思ったら急に雪崩か何かが起こってバスが……」
 話しているうちに、悠里の脳裏にその時のことがフラッシュバックする。
 乗っていたバスが何かに巻き込まれて道路から滑落する時、シートベルトを着けていたけれど、窓側に座っていた少年をかばおうとして咄嗟に抱き寄せた。その後、棚に置かれていた荷物や色々なものが背中に当たったり、バスが回転している時の重力や、どこかに落下した時の衝撃を思い出した。
「え〜っと、私って確か、『生きてる』んですよね?」
 悠里の問いに、スラオシャはうなずき、その問いに答えた。
「亡くなっていたとすれば、誰かが貴女を迎えに行っている筈です」
「誰かが迎えに?」
 スラオシャは「ええ」とうなずく。
「【蝕】の影響があったとしても、いきなりそれをすっ飛ばして太極へ来ることはかなり稀なケースですよ」
「そうですか……」
 納得しつつも、あんな事故に巻き込まれているのだから無事とはいえない。生きているといっても、何かしらの怪我はしているだろう。
(私の体、無事なんだろうか?)
 悠里は色々と考えてしまい、思わず黙り込んでしまう。それが表情に出ていたのか、悠里の思考を感じ取ったらしい十六夜が、気遣うように声をかけてきた。
「我が君――碧霞元君は、『それほど深刻な状態ではないから心配するな』と仰っていました」
「本当?」
「はい。生命が危機的状況であれば、それに備えて【導き手】もそばに現れる筈ですから」
「そうなら、一応は安心ね」
 悠里はほっと一息つくと、今の状況を把握しようとして、意識がブラックアウトする前にいた場所とは全く違う場所にいることに気付いた。

 

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